下関(関門地区)

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「ひょうたん井戸」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

長州藩が幕府の征討軍に屈した(第一次長州征伐)あと、藩内は親幕府派の俗論党が政権を握った。高杉晋作は元治元年(1864年)12月乾坤一擲(けんこんいってき)のクーデターを敢行して政権を奪い返し、藩は再び倒幕路線に戻った。
政権を掌握した高杉が次に行おうとしたのは、下関の開港である。下関を横浜のように開港し貿易を盛んにすることで、来たるべき対幕府戦に向けて経済力を高めようとしたのだ。

ところが、藩内には攘夷に固執する勢力がまだ数多くいた。この計画が彼らに洩れるや、「(かつての攘夷志士から)変節した高杉」を討つべく暗殺団が結成され、高杉やその一派(伊藤俊輔(いとうしゅんすけ)や井上聞多(いのうえもんた)など)を狙い始めたのである。
高杉はしばらく下関で潜伏生活を続け、慶応元年(1865年)の4月に愛人おうのを連れて長州を脱出。琴平の日柳燕石(くさなぎえんせき)を頼り、2か月ほどを四国で過ごした。
このひょうたん井戸は下関潜伏中にまる1日、刺客から身を隠すためにもぐりこんだ井戸と伝えられている。

PHOTO

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 (国道191号線から西へ入った路地端に「ひょうたん井戸」の小さな標識が立っている)

 (高杉晋作が刺客から隠れたというひょうたん井戸は、今も現役で使われているようだ)

 (ひょうたん井戸の説明板。下関に占める長州本藩領の割合はごくわずかで、ほとんどは長府藩(一部清末藩)の領地だった)