京都

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「薩長同盟締結地跡(小松帯刀寓居跡)」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

当地は、平安時代の一条邸があった場所で、この向かい側に近衛家の堀川邸が建っていた。薩長同盟が結ばれた小松帯刀の寓居がその堀川邸内にあったという。

薩長同盟のための会談は、二本松の薩摩藩邸で開始されたが、薩摩側の西郷隆盛・小松帯刀と、長州側の桂小五郎(このときは木戸貫冶と改名していた)との間には立場の相違があり、なかなか会議の進展が見られなかった。

そこで、藩邸から500メートルほど離れた当地の小松屋敷に場所を移して会談が再開され、慶応2年1月21日(1866年3月7日)にようやく締結にいたった。

難航した会議の最終局面で、いまや破談になりそうになったときに坂本龍馬が現れ、西郷(もしくは桂)側をくどき、私情を捨てて国家のことを考えよと迫り、同盟締結に至らせたというストーリーがよく知られているが、史実かどうかは不明。ただし龍馬が同盟の重要な証人となったことは確かである。桂が会談ののちに記憶を元に作成した議事録「覚え書き六箇条」が残っており、その文書には龍馬によって朱筆の裏書き(事実の証明)がなされている。

PHOTO

(写真クリックで拡大します)

 (一条邸跡の碑。小松帯刀が居住していた近衛家はこの向かい側にあったということだ)

 (応仁の乱が始まった場所でもあるらしい)

 (碑に関する説明)

 (碑は一条通りに面している。奥行き方向へ少し歩くと、一条戻橋を渡って堀川通りに突き当たる)

 (一条戻橋と堀川通り(右が北))