京都

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「長州藩邸跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

倒幕のエネルギーの源泉は、外国の脅威に対抗するための攘夷運動だった。それが尊皇思想と結びついて過激な尊皇攘夷派が生まれることになった。幕末の長州藩邸はまさしく過激な尊皇攘夷派の巨大なアジトと化していた。

しかし、長州藩の勢いを危険視した薩摩藩が幕府・会津藩などと手を結んで、京都から長州勢力を追い落とす「八月十八日の政変」を起こした。その後も長州藩は虎視眈々と勢力奪還をねらっていたが、翌年(元治元年)6月に池田屋事件が起こると、激高した国元の過激派が京都へ武力進発するにいたった。

上京部隊は最初、長州藩の名誉回復のため朝廷へ嘆願を出していたが、ついには御所を警備する会津や薩摩藩などとの武力衝突(禁門の変)となった。

禁門の変に敗れた長州藩は、この藩邸を焼き払って京都から脱出。この戦闘によって市内には「どんどん焼け」と呼ばれる大火災が発生した。

PHOTO

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 (河原町御池交差点角に建つ京都ホテルオークラ)

 (御池通り側の柱の陰に「長州屋敷跡」の碑が立つ)

 (河原町通り側にまわると、桂小五郎の像が見える)

 (長州藩の指導者から維新の元勲となった桂小五郎(木戸孝允))