京都

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「御陵衛士屯所跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

途中から新選組に入隊した伊東甲子太郎(いとうかしたろう)は、もともと勤王の志がつよく、慶応3年(1867年)3月10日、佐幕色を濃くしていく新選組から離脱し、藤堂平助(とうどうへいすけ)ら伊東の思想に共鳴する隊士を引き抜いて、孝明天皇の御陵を守護する組織・御陵衛士を立ち上げた。

すでに前年(慶応3年(1867年))の秋には、第二次長州征伐で幕府が長州に敗北を喫し、世の流れは幕府から薩長へと大きく転回しようとしていた。

伊東は、御陵衛士は新選組を外部からサポートする立場であると説明したが、近藤は伊東の動きを警戒していた。同じく新選組から参加してきた斉藤一(さいとうはじめ)が実はスパイであることを見抜けず、伊東の新選組乗っ取り計画が斉藤によって近藤たちに通報された。伊東は新選組に暗殺され(油小路の変)、御陵衛士は壊滅した。

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 (御陵衛士の屯所は、高台寺塔頭(たっちゅう)の月真院(げっしんいん)に置かれたため、御陵衛士は高台寺党とも呼ばれた。塔頭とは高僧の隠居後に住む小院のこと)

 (豊臣秀吉の正室・北政所(きたのまんどころ)(ねね)は、秀吉の死後、落飾して朝廷から高台院の号を賜った。その北政所が秀吉の冥福を祈って建てた寺院が高台寺である。御陵衛士屯所跡の碑が面しているこの道は「ねねの道」と呼ばれている)