高知

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「岩崎弥太郎生家跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

地下浪人(じげろうにん)とは、経済的な困窮などで、郷士の株を売ってしまい浪人状態となった者のことをさす。形式的には武士で名字帯刀を許されるが、藩からの家禄はなく、おもに農業などを生活手段とする。
(逆に、坂本龍馬が生まれた坂本家は、商家(本家の才谷屋)が郷士の株を買って、侍の身分を得た例)

岩崎弥太郎は、幼い頃から学才にすぐれ、江戸の安積艮斎(あさかごんさい)塾で学んだが、故郷で父親が喧嘩騒動を起こして投獄されたため帰国。藩への抗議(門柱への落書き)をとがめられ弥太郎自身も投獄されてしまうが、獄中で商人から商売・算術の法を学び、商業の道に目覚めた。

出獄後に吉田東洋の少林塾に入り、後藤象二郎と出会ったことで、のち後藤が藩の実権を握ったときに、藩の商社である土佐商会の長崎留守居役を命じられ、さらに土佐藩公認の海軍・貿易機関として坂本龍馬の海援隊が設立されると、その会計を任されることになった。

明治になり、長崎の土佐商会は廃止、大阪に移って大阪商会、さらに九十九(つくも)商会に改称、これを母体にして、明治6年(1873年)に弥太郎の個人企業「三菱商会」が設立された。