高知

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「河田小龍邸跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

河田小龍は、吉田東洋から命じられ、アメリカから帰国したジョン万次郎の取り調べにあたった。万次郎は10年間のアメリカ暮らしのあいだにすっかり日本語を忘れ、土佐の役人との意思疎通もままならない状況だった。東洋は小龍の画才・学才を高く評価していた。長崎に遊学し蘭語の知識もある小龍が、万次郎の聴取役に適任と考えたのだろう。

絵師の小龍は、万次郎から得た情報をもとに、地図や挿絵を織り込んだ「 漂巽紀略 (ひょうそんきりゃく)」5巻をまとめた。これは藩主に献上されたほか、多くの人々の高い関心をよぶことになる。 

坂本龍馬も小龍のもとで大きな啓発を受けている。異国の文明が日本よりもはるかに進んでいることを知って、驚きと危機感をおぼえた小龍は、龍馬に、海運をさかんにし西洋と交易を通じて西洋文明に追いつくことが重要であることを教えた。このことがその後の龍馬の活躍の原点になったのだ。

小龍の自宅は、城下の東方(現・はりまや町)にあったが、嘉永7年(安政元年)11月5日に起こった安政の大地震(南海地震)で建物が全焼し、当地に転居してきた。

PHOTO

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 (画面中央の小さな社が水天宮。この近くに河田小龍の自宅(塾)があった。広い通りを左(南へ)折れると、鏡川にかかる月の瀬橋が見える)