鹿児島

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「坂本龍馬新婚の旅碑」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

第1次長州征伐以降、徳川幕府の内外政策に大きな不満を抱くようになった薩摩藩は、幕府の敵であり自藩とも犬猿の仲である長州藩と秘密裏に交渉を進め、慶応2年1月21日(1866年3月7日)についに薩長同盟を成立させた。 この秘密同盟締結には坂本龍馬、中岡慎太郎ら外部の浪人志士たちの力が大きく寄与していた。

すでにその前後から、反幕府活動家として目を付けられていた龍馬は、薩長同盟成立わずか2日後の慶応2年1月23日(1866年3月9日)、伏見寺田屋に宿泊中に伏見奉行所の捕り方に襲撃された。龍馬は高杉晋作から贈られたピストルを使って、同宿の長州藩士・ 三吉慎蔵(みよししんぞう)とともに戦い、重傷を負いつつ辛くも伏見薩摩藩邸に脱出した。

龍馬の身を案じた西郷隆盛の勧めにより、龍馬は妻のお龍とともに傷の療養を兼ね、鹿児島へ湯治旅行へ出かけることにした。慶応2年2月29日(1866年4月14日)、京都を出発した龍馬夫妻は西郷、小松帯刀、吉井幸輔(よしいともざね)らとともに大坂から薩摩船「三邦丸(みくにまる/さんぽうまる)」に乗り、鹿児島へ向かう。このとき中岡慎太郎と三吉慎蔵も同行した。

途中、下関に寄港して中岡と三吉は下船、さらに長崎を経て3月10日に鹿児島・天保山(てんぽざん)に到着。吉井幸輔宅に身を寄せたあと、3月16日に天保山から船に乗って錦江湾(きんこうわん)を渡り、霧島へ向かった。

龍馬夫妻の霧島の旅は26日間に及び、その間塩浸(しおひたし)温泉周辺では、魚釣りをしたりピストルで鳥を撃ったり、また高千穂峰登山を楽しんだりと、その短い生涯で最も幸福な日々を送ったと言われている。

PHOTO

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 (新婚の旅碑は、天保山公園から道路をはさんですぐの川沿いに建っている)

 

 (銅像は、鹿児島大学で教鞭をとり鹿児島中央駅前の「若き薩摩の群像」を制作した彫刻家・中村晋也氏の手による)