鹿児島

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「西郷隆盛誕生地」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

薩摩藩(鹿児島城下)には、藩士の子弟を教育するための「郷中(ごじゅう)」と呼ばれる教育システムがあった。いわば青年団のようなもので、町内の4〜5町四方(およそ4〜500メートル四方)の区画をひとつの「郷中」とし、そのグループの中で、年長者が年少者の教育を行うのである。
子弟たちはだいたい6歳くらいで郷中に入り、6歳〜15歳を稚児(ちご)、15歳〜25歳を二才(にせ)といった。
郷中では、薩摩武士としてふさわしい人間になるよう、「嘘をつくな、負けるな、弱者をいじめるな」という心構えを基本に、武芸や道徳教育など心身の鍛練が毎日行われた。

鹿児島城下全体でおよそ30ほどの郷中があったと言われているが、他の郷中の者たちと町中で出会うとよく喧嘩が起こったという。
西郷隆盛は下加治屋町(したかじやまち)郷中に属していたが、13歳のころ郷中同士の喧嘩の仲裁をしていたときに、刀で斬りつけられて腕を負傷し、以来腕が十分に動かせなくなったため、武芸で身を立てるのを諦めて、学問に身を入れるようになった。
西郷は、24歳まで下加治屋町郷中頭(ごじゅうがしら)として若者を指導した。通常郷中頭は18歳くらいで郷中を卒業するのだが、西郷は周囲からぜひ頭を続けてくれと懇願されたのである。

なお、甲突川の対岸にある高麗町で生まれて下加治屋町に引っ越してきた大久保利通は、7歳で西郷と同じ郷中に入り、以後、西郷・大久保はともに手をたずさえて幕末・明治の時代をつくっていくことになる。

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 (「維新ふるさと館」からほど近いところにある西郷隆盛誕生地)

 (上の地点とは反対側の入り口)

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