京都(伏見)

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「伏見長州藩邸跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

元治元年(1864年)6月に起きた池田屋事変に激怒した長州藩急進派は、国元から軍を率いて京に向かった。長州藩家老の福原越後(福原元|(ふくはらもとたけ) )は、約500の兵とともにこの長州藩邸で待機。しかし「藩主の冤罪を晴らす」嘆願は失敗に終わり、長州各軍は一気に京都御所に迫る。

福原の軍も竹田街道から北上すべく進軍したが、会津、桑名、大垣藩の阻止にあって敗走。京橋から彦根藩の砲撃を受けて伏見藩邸も焼失してしまった。その後、第一次長州征伐のさいに、福原越後は他の二家老とともに切腹の沙汰を受けた。

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 (碑が立っているのは伏見土木事務所付近)

 (上の写真の左方向から。この付近にあった長州藩邸は鳥羽伏見の戦いの3年半前、禁門の変のときにすでに焼失してしまった。中央の茶色の建物の向こうが京橋で、「伏見口の戦い激戦地跡」の碑がある。)