横浜

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「開港広場」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

1982年に完成した開港広場のシンボルが、地球形のオブジェ「日米和親条約締結の地」の碑。締結交渉は、幕府が急遽建設した臨時の応接所(現在の神奈川県庁あたり)で行われた。

ちなみに「日米和親条約」によって開港したのは、下田と箱館(函館)の2港であり、横浜が開港したのは、その4年後に結ばれた日米修好通商条約によってである。

日米修好通商条約は、安政5年6月19日(1858年7月29日)に結ばれ、このとき、神奈川、長崎、箱館、新潟、兵庫の開港が約束された。(英仏蘭露とも同様の条約を結んだ(安政の五カ国条約))
そして翌年の安政6年6月2日(1859年7月1日)に横浜港が開港した。

神奈川宿は現在のJR横浜駅付近である。現在は埋め立てられてしまったが当時の神奈川は海辺に面した風光明媚な宿場町だった。
(→本覚寺【PHOTO2】田中家【PHOTO1】

日本側(幕府)は、江戸に直結した東海道の宿場町である神奈川を開くことは、何としても避けたかった。そこで、辺境の横浜村を神奈川の一部であるということにして、横浜を開港したのである。(各国から抗議されたが幕府は横浜開港を押し通した。廃藩置県のとき、名称が横浜ではなく「神奈川県」になったのは、あくまで横浜の町は「神奈川」に含まれるという幕府時代からの主張と整合性をとるためだったという)

PHOTO

(写真クリックで拡大します)

 (開港広場のシンボル「日米和親条約締結の地」のモニュメント)

 (近づいて見ると、オブジェは地球であることがわかる)

 (別に標柱も立っている。塀の向こう側は横浜開港資料館)

 (「旧居留地90番地の大砲」。現在の山下町90番地に、生糸の輸出、時計の輸入をおもに行っていたシーベル・ブレンワルト商会があり、その跡地から昭和34年(1959年)に発掘された真鍮製11ポンドカノン砲。戊辰戦争のときに輸入された大砲のようだ)

 (噴水、イチョウ、カフェ、教会(横浜海岸教会)がある閑静な一角)

 (小さな公園だが、明治維新の起点となった象徴的な場所として、大きな存在感を放っている)