Google Map

「吉田稔麿誕生地」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

松本村の足軽の子として生まれる。年少より学才すぐれた人物で、師の松陰から可愛がられた。また他人の意見に左右されない頑固者という点で高杉と並び立つとも評された。安政の大獄で松陰が江戸に下ると、稔麿はみずからの一族を守るため、涙を呑んで松陰との関わりを断ち切った。松陰は稔麿から書簡の返事が来ないことを非常に寂しがっていたが、稔麿は他の誰よりも師のことを案じていたともいう。

松陰の死後、稔麿はその遺志を受けつぐべく尊皇攘夷運動に奔走する。文久3年(1863年)6月、高杉晋作創設の奇兵隊に参加し、屠勇隊(とゆうたい)という被差別民からなる部隊をつくった。

元治元年(1864年)6月5日に起きた池田屋事件で、新選組が突入したときには稔麿は座をはずしていたが、変事を聞いて池田屋に駆けつけ、斬り合いの結果討死したと伝えられている(長州藩邸前で自刃したとも)。

PHOTO

(写真クリックで拡大します)

 (松下村塾の近くにある吉田稔麿誕生地の碑。名が「稔丸」となっているが通常は稔麿)

 (この道を行くと、まもなく松下村塾を創設した松陰の叔父・玉木文之進の旧宅が見える)