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「野山獄・岩倉獄跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

江戸時代の前期、大組藩士・岩倉孫兵衛は酒に酔って、向かいの屋敷に住む同格の藩士・野山六右衛門の屋敷に侵入、家族を斬り殺した。岩倉孫兵衛は斬首刑となったが、喧嘩両成敗の建前から、野山、岩倉両家が家名断絶、家屋敷没収の処分を受けた。

のち、藩では両家の屋敷跡を牢獄に建て替え、野山獄、岩倉獄とした。野山獄は士分の犯罪者を収容し、襲撃側だった岩倉家の跡地の岩倉獄には庶民の者を収容して、囚人の待遇にも大きな差をつけた。幕末期に密航事件で捕まった吉田松陰は野山獄だったが、松陰と行動を共にした金子重輔は衣食も満足に与えられない岩倉獄に入れられ、獄中で病死した。

PHOTO

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 (小路をはさんで右側(西側)が野山獄、左が岩倉獄)

 (野山獄跡の碑。吉田松陰や高杉晋作も一時この獄につながれた)

 

 (野山獄、岩倉獄の内部を示した図)

 (おもに町人身分の者が収監された岩倉獄)

 (吉田松陰とともに海外密航を企てた金子重輔の碑がある。武士階級が対象の野山獄に比べ、岩倉獄は環境が劣悪だったため、金子重輔は獄内で病死してしまった)