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「萩城跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

関ヶ原の戦いで西軍の総大将となった毛利輝元(もうりてるもと)は、敗戦後それまでの中国120万石の所領を大幅に削減され、長門・周防2カ国36万9千石に押し込められた。 さらに、毛利家の反乱を警戒した幕府から、築城の場所を僻地である日本海側の萩にするよう命じられ、慶長13年(1608年)に指月山に萩城が完成した。

長州藩の政治運動が活発になってきた幕末期の文久3年(1863 年)、藩主・毛利敬親(もうりたかちか)は、藩庁をより交通の便利な山口政事堂(現在は山口県庁)に移した。 幕府に無断での移転だったが、力の衰えていた幕府はこれを黙認。第一次長州征伐で長州が降伏すると、一時藩主父子は萩城に戻ったが、その後、高杉晋作の藩内クーデターによって倒幕派が実権を握ると、再び政庁を山口に戻した。

PHOTO

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 (萩城下町の西北、指月山のふもとに広がる萩城跡)

 (藩祖・毛利輝元像。ただし初代長州(萩)藩主は輝元の子・毛利秀就(もうりひでなり)