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「玉木文之進旧宅」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

玉木文之進は、吉田松陰の父・杉百合之助(すぎゆりのすけ)の弟にあたり、10歳のときに玉木家の養子となった。文之進は幼年時代の松陰を非常に厳しく教育した。読書中に顔がかゆくなり思わず手で掻いたことをとがめて殴り倒すことさえあった。7歳で藩の山鹿流兵学教授の吉田家を継いだ松陰にとって、学問を行うのは「公」の仕事。その最中にかゆみのために手を動かすという「私事」を為すとは言語道断というわけである。
のち国事に奔走する松陰があまりにも己に厳しい生き方を貫いたのも、幼い頃にこのようなすさまじい教育を受けたことが大きな要因だったろう。

天保13年(1842年)、文之進は近隣の子どもを集めてここに「松下村塾」を開き、松陰もここに学んだ。のち親類の久保五郎左衛門がこの塾の名を継ぎ、さらに松陰が松下村塾を主宰することになった。碑銘にも「松下村塾発祥之所」とある。

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 (玉木文之進は、この自宅で松下村塾を開いた。この地の名である「松本」を「松下(もと)」と書き換えたものである。松下村塾=吉田松陰のイメージが強いが、最初は松陰自身がこの塾の生徒だった。松陰はこの塾の3代目の主宰者であり(塾の場所は異なる)、4代目は明治時代に再び玉木文之進が就任することになる)

 (旧宅内部。座敷に上がることはできない)