江戸

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「品川弥二郎像」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

品川弥二郎は、天保14年(1843年) 長州の足軽の家に生まれ、身分は低かったが、吉田松陰の松下村塾に入門して尊皇攘夷運動に参加することにより、幕末・維新の外交に重要な役割を演じる人物となった。文久時代には高杉晋作の英国公使館焼き討ちにも参加しているが、藩代表となった高杉が外国艦隊と和睦したことを知って憤り、高杉と敵対したこともある。明治後は子爵・内務大臣まで務めた。

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 (九段下から靖国通りの急坂を登り、日本武道館入口(田安門)を通りすぎたところに品川弥二郎像が立っている)

 

 (明治17年(1884年)に制定された華族令により、品川は「子爵」位を受けた。華族は「公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵」の五階。ちなみに品川像に隣接する日露戦争の功労者・大山巌は最高位の「公爵」を叙されている。品川は情に厚く幕末長州の尊皇攘夷運動に実直な働きで貢献したが、政治家にはあまり向いていなかったようだ)

 (靖国通りの歩道橋より。左手木立の向こうに武道館の屋根が見える。その手前歩道橋脇に立つ常燈明台は明治4年の建設で、当時は東京湾を航行する船の目印になった)