江戸

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「一橋徳川家屋敷跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

一橋家は、徳川将軍家の血筋を保持するための家で、8代将軍・徳川吉宗の四男である徳川宗尹(むねただ)によって創始され、同じ性格をもつ田安家、清水家とともに御三卿とよばれた。将軍家に跡継ぎができなかった場合には、この御三卿(もしくは御三家)から将軍継嗣を出すのである。

攘夷派で「烈公」とも称された水戸徳川家・徳川斉昭(なりあき)の七男に生まれた徳川七郎麻呂(しちろうまろ)は、11歳のときに幕府の意向を受けて一橋家に養子に入り、一橋慶喜となった。

水戸徳川家は御三家とはいっても、他の御三家(紀伊徳川家、尾張徳川家)に比べると家格が一段落ち、将軍の継嗣は出せないという不文律があった。

そこで、徳川七郎麻呂の資質を高く買っていた12代将軍・徳川家慶(もしくは老中・阿部正弘)は、彼に将軍継嗣の資格をもたせるため、水戸徳川家から一橋家へ養子に出させたといわれている。

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 (丸紅本社ビルの前、白山通りに面して一橋徳川家屋敷跡の碑がたつ。右が平川門交差点)

 

 (屋敷跡の碑と説明板)

 

 (首都高速の陸橋の下が「一ツ橋」)