江戸

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「長州藩上屋敷跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

元治元年(1864年)7月19日、京都での政界復帰をねらう長州藩は、兵力をもって強引に京都御所へ押しかけ、これを阻もうとする宮門警備の諸藩と交戦になった(禁門の変)。この騒動を受けて、幕府は全国各地の長州藩出先機関の没収・取り壊しを命じ、この長州藩桜田藩邸も翌8月に消滅してしまった。藩邸没収にさいして、50名ほどの死者が出たという。

藩邸跡を含む周辺は、明治を迎えて陸軍近衛師団の練兵場となり、その後明治36年(1903年)に、ドイツ様式の近代公園として日比谷公園が誕生した。

ちなみに徳川家康が江戸入府したころ、現在の日比谷公園から有楽町駅の西側あたりまでは、日比谷入江という海だった。今では東京駅からまっすぐ皇居に道が続いているが、ここも海で分断されていた。家康は大工事を開始してこの入江を陸地に変え、のちにその埋立地の上に長州藩上屋敷が建てられたのである。

PHOTO

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 (祝田橋(いわいだばし)交差点の角に接した日比谷公園への入口(祝田門)。公園の北端にあたる。ここに幕末・禁門の変まで長州藩上屋敷が建っていた)

 (公園入口にある案内板)

 (三笠山と名づけられた庭園の築山)

 (雲形池。藩邸の当時もこのような池があったかもしれない)

 (内堀通り。皇居側からみた祝田橋交差点と、木立におおわれた日比谷公園)

 (上の写真の祝田橋交差点を左折したところ。この道路に沿って屋敷の築地塀がめぐらされていたことだろう)