江戸

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「土蔵相模跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

京浜急行・北品川駅から海側に出たところに旧東海道が通っており、このあたりから品川宿の町並みが海岸にそって長く続いていた。その品川宿でも高級妓楼として知られた「相模屋」は、ナマコ壁を持つ土蔵づくりから「土蔵相模」と通称されていた。

攘夷実行のため、長州藩の高杉晋作らは文久2年12月12日、品川御殿山に建設中の英国公使館を焼き討ちした。メンバーは高杉ほか、久坂玄瑞、井上聞多、伊藤俊輔、寺島忠三郎、品川弥二郎、赤根武人、山尾庸三らである。彼らは実行前にこの土蔵相模に泊まり込んで謀議を重ねた。

英国公使館焼討ち事件から3年近くさかのぼった安政7年3月3日には、井伊直弼大老が登城中に暗殺される「桜田門外の変」が発生した。襲撃者は関鉄之介ら水戸藩浪士17名と薩摩藩浪士・有村次左衛門(海江田信義の弟)の計18名。彼らは前夜土蔵相模において宴をはり、翌早朝出発して愛宕神社で祈願をしたあと江戸城桜田門前に向かった。

映画「幕末太陽伝」(1957年)の舞台として登場し、高杉晋作を石原裕次郎が演じた。

昭和50年代まではホテルとして残っていたが、老朽化のため取り壊され、現在跡地はマンション(コンビニ)になっている。

PHOTO

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 (幕末の志士御用達の妓楼・土蔵相模跡)

 (現在はマンション(コンビニ)となっている)

 (土蔵相模が面していた旧東海道(奥行き方向が南)。現在の京浜急行・北品川駅付近から、東海道の最初の宿場・品川宿の家並みが始まり、青物横丁駅付近まで続く。このあたりは品川宿でも北の端に位置する

 (土蔵相模より南へ下ったところにある品川宿本陣の跡)