江戸

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「玄武館跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

江戸時代の初めころ、神田のこのあたりに「桜が池」という花見の名所があった。大きな池のほとりには茶屋が立っていて「お玉」という看板娘がいたが、その娘は二人の男に求愛され悩んだあげく、池に身を投げてしまった。それ以降、池は「お玉が池」と呼ばれるようになった…という言われがある。

幕末のころには、池はほとんどなくなっていたらしいが、「お玉が池」という地名は残った。お玉が池周辺には多くの学者や文人、剣士が居をかまえた。洋学者・佐久間象山(さくましょうざん)の象山書院、漢詩人・梁川星巌(やながわせいがん)の玉池吟社(ぎょくちぎんしゃ)、蘭方医・伊東玄朴(いとうげんぼく)のお玉が池種痘所、儒者・東條一堂(とうじょういちどう)の瑤池塾(ようちじゅく)、そして千葉周作の玄武館道場。神田という土地には、文武の修行の空気が昔から満ちていたのだろう。

玄武館出身の門弟としては、千葉定吉、清河八郎、山岡鉄舟、藤堂平助、山南敬助らがいる。

PHOTO

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 (旧千代田区立千桜小学校の校門内に玄武館跡の碑と案内板が立っている。横の門を通って中に入ることができる)

 

 (「右文尚武(ゆうぶんしょうぶ)」の碑。右文とは学問を重んじることで、尚武とは武に励むこと。ここでは東條一堂の塾と、千葉周作の玄武館のことをさす)