江戸

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「中之橋」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

東洋との貿易業に携わっていたタウンゼント・ハリスは、アメリカ政府から駐日領事に任命され、1856年に秘書兼通訳としてオランダ人のヘンリー・ヒュースケンを雇って日本に向かった。

ヒュースケンはこのとき24歳。ハリスに従って領事館が設けられた下田・玉泉寺 (ぎょくせんじ)に入り、和親条約の改訂や、通貨比率交渉、大統領親書の将軍家定への提出、通商条約の締結などの作業にあたった。安政5年(1858年)6月に日米修好通商条約が結ばれると、下田の領事館は閉鎖され、ハリスとともに元麻布・善福寺のアメリカ公使館に移った。

万延元年(1860年)12月4日(西暦では1861年1月14日)、江戸来訪中のプロシア大使と芝赤羽接遇所で食事をした後、3人の護衛とともに善福寺の公使館に戻る途中、中之橋近くで、攘夷派の薩摩藩士・伊牟田尚平(いむたしょうへい)ら7人に襲われ、腹部を切りつけられて落馬した。ヒュースケンは、公使館に運ばれたが手当の甲斐なく翌日死去した。

PHOTO

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 (ヒュースケンはこのあたりで薩摩藩士らに襲撃され、命を落とした)

 (中之橋の上を通る首都高・都心環状線。左方面は麻布十番・一の橋、右方面・赤羽橋)