江戸

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「千葉定吉道場跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

坂本龍馬が千葉定吉道場で修行を始めてまもなく、ペリー艦隊が浦賀沖に現れた。龍馬は藩命により品川の土佐藩下屋敷の防備の任にあたる。「いくさになれば異人の首を取って帰ります」と家族宛に手紙を送っている。日本中を揺るがすこの大事件に直接遭遇したことは、後の龍馬の生き方に大きな影響を与えた。

定吉の息子の重太郎は、龍馬の一回りも年長だったが、よき相談相手で親友でもあった。開国派の勝海舟を暗殺するため、文久2年(1862年)11月、龍馬とともに勝海舟邸に出かけたが、龍馬のほうが勝の論に心服しその場で門人になってしまったという逸話がある。

千葉定吉の二女・佐奈(さな)は、才色兼備で「千葉の鬼小町」とも呼ばれた剣の使い手だった。道場門弟となった龍馬と相思相愛の仲になり、婚約を交わしたと言われるが、その後国事に奔走しはじめた龍馬と結ばれることはなく、生涯独身を通したと言われている。

PHOTO

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 (JR線路側から見た鍛冶橋交差点。交差点角の「常陽銀行」の看板のビル周辺に千葉定吉道場があったと言われている)

 (この道路の向かい側あたりに千葉道場の建物があったか)