江戸

Google Map

「芝公園」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

増上寺から日比谷通りをへだてた公園の一角に、嘉永6年(1853年)に来航して鎖国の扉をこじ開けたマシュー・ペリーの頭像(「ペルリ提督像」)がある。またペリー像と向き合うように、「万延元年遣米使節記念碑」が建っている。万延元年遣米使節とは、万延元年(1860年)、日米修好通商条約の批准書を交換するために結成された、新見正興(しんみまさおき)を正使とする使節団で、米国軍艦ポーハタン号に乗船して渡航した。往路は勝海舟や福沢諭吉らの乗る咸臨丸が同行した。(→勝海舟邸跡

ポーハタン号は、安政元年(1854年)にペリーが2度目に来航したとき、下田沖で長州藩の吉田松陰と金子重輔が乗り込み密航しようとして拒否された船である。松陰は、遣米使節団がアメリカに旅立つわずか3か月前に安政の大獄の中で斬首されている。
その安政の大獄の主導者・大老井伊直弼は、使節団を乗せたポーハタン号がサンフランシスコに到着する直前に、江戸城桜田門外で命を奪われた。

芝公園はもともと増上寺境内を含む広大な公園だったが、戦後の政教分離政策によって増上寺境内の部分が除かれたため、環状型の公園になった。

PHOTO

(写真クリックで拡大します)

 (公園の一角にあるペルリ提督像)

 (像の背後)

 (万延元年遣米使節記念碑。安政7年(1860年)1月18日、使節団は品川沖からポーハタン号に乗船、いったん横浜に停泊した後、1月22日にサンフランシスコめざして出港し、3月8日

 (ペルリ提督像(右のベンチ近く)、万延元年遣米使節記念碑が向かい合っている。左端は増上寺三門)