江戸

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「興禅寺」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

会津藩主・松平容保の側近だった家老の萱野権兵衛(かやのごんべえ)(本名・萱野長修(ながはる) )は、会津戦争の責任は藩主ではなく自分にあるとして、主君・容保を擁護した。 この結果、松平容保は助命され、萱野は明治2年(1869年)に飯野藩保科家下屋敷にて切腹。墓はここ白金・興禅寺と会津・天寧寺にある。

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 (聖心女子学院の煉瓦壁にそって、蜀江坂(しょっこうざか)を登り切った右手に興禅寺がある)

 (会津藩主松平容保の忠臣・萱野権兵衛が眠る興禅寺)