MUST-SEE SPOT

大河ドラマ館

会津若松市城東町

→会津の史跡マップ

2013年(平成25年)のNHK大河ドラマ『八重の桜』に合わせて設けられた展示施設。平成25年1月12日にオープン。平成26年1月14日に閉館。

MAP

「大河ドラマ館」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY & DETAILS

幕末から昭和までの激動期を生き抜いた女性・新島八重の生涯を描いたNHK大河ドラマ『八重の桜』。ドラマで使用された衣装や再現セットを展示した「ハンサムウーマン八重と会津博 大河ドラマ館」が2013年1月12日に開館した。

新島八重(山本八重)は、弘化2年(1845年)11月3日、会津藩砲術師範を務めていた山本権八の娘として会津城下で誕生。幼少のころから勝ち気な性格で家芸の砲術を学んだ。幕府崩壊後に戊辰戦争が始まり、その戦火が北上して会津戦争に至ると、八重は銃を手に、鶴ヶ城籠城戦を藩士らと共に戦った(当時満年齢で22)。この戦いの最中に、八重の最初の夫は遭難したといわれる。

明治4年(1871年)、京都府庁に務めていた兄の山本覚馬をたよって京都へのぼり、京都女紅場(府立第一高女)の権舎長となった。このあと欧米留学から帰国した新島襄の学校建設事業に兄・覚馬が賛同したことが機縁となり、八重と新島は明治9年に結婚した。(→京都薩摩藩邸跡(現・同志社大学))

レディファーストの精神が身についていた洋行帰りの新島襄は、男勝りの八重とは似合いのカップルといえたが、日本はまだ封建的な時代であり、夫に従う妻という一般の夫婦像を壊すような八重の行動は、「悪女」などという批判をよぶことになる。

日清戦争、日露戦争では看護婦として活躍。昭和7年(1932年)86歳で京都の自宅で亡くなった。