MUST-SEE SPOT

野口英世青春館

(のぐちひでよせいしゅんかん)

会津若松市中町

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黄熱病の研究で有名な世界的な医学研究者・野口英世は、「会陽医院」に書生として住み込み、医学の基礎を学んだ。

当時の会陽医院の建物を「野口英世青春館」と命名し、2階を資料室として公開している。

MAP

「野口英世青春館」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY & DETAILS

野口英世は、少年少女がだれでも一度はその伝記を読む「日本の偉人」として、非常に知名度が高い。千円札の肖像としても知られている。

明治9年(1876年)現在の猪苗代町に生まれた英世(本名・清作)は、1歳のときに囲炉裏に転落し、左手に大やけどを負った。左手が不自由になった清作は学校に上がったあとも、周囲の子供から「てんぼう」とからかわれ、悔しい思いを抱きつづけていたが、15歳のとき、友人たちが費用を持ち寄り、会津会陽医院の渡部鼎(わたなべかなえ)医師の執刀で手術を受け、左手の機能を回復させることができた。これに感動した清作は医学の道を目指すようになる。

この会陽医院は、英世が少年時代に手術を受けた場所であり、その後高等小学校を卒業後に、住み込みの書生として3年間をすごした場所である。

現在、1階は「會津壹番館」という名のアンティークな喫茶店、2階が資料室となっている。

PHOTO

(写真クリックで拡大します)

 (野口英世が手の手術を受けた会陽医院の建物。1階は喫茶店「會津壹番館」。2階が資料室)

 

 (青春館の南隣は、「福西本店」という蒲生時代から続く会津の商家。この建物は「会津若松市歴史的景観指定建造物」の第1号に指定されている)

 (現在は土産物店となっている)

 (福西本店の蔵と野口英世青春館(旧会陽医院)。建物が面している道路は「野口英世青春通り」と名づけられている)

 (西軍墓地(融通寺)の近くにある「野口英世青春通り」の標識。ここから500メートルほど先に野口英世青春館がある)