会津

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「長命寺」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

慶応4年(1868年)8月29日、西軍から「鬼佐川」と呼ばれて恐れられていた会津藩家老・佐川官兵衛(さがわかんべえ) は、補給路を確保するため、籠城中の鶴ヶ城から精鋭部隊1000を率いて出陣、長命寺で西軍(新政府軍)と激しく交戦した。 佐川らの部隊は城下町の各地で善戦したが、9月22日に会津藩は降伏の日を迎える。

会津降伏後、残された会津兵士の遺骸は半年間も埋葬することが許されなかったが、惨状を見かねた寺の住職がひそかに周囲のなきがらを集めて葬ったという。

長命寺の土塀には、当時の戦闘により無数の弾痕が空いたとされるが、現在塀に残っている穴は、「修復」された弾痕。

PHOTO

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 (本願寺輪番(浄土真宗・本願寺の別院を統括する寺)として会津の地に開かれた長命寺)

 (門前)

 

 (門前の「長命寺戊辰戦懐古碑」)

 (弾痕の残る築地塀と説明板)

 (築地塀。弾痕は当時の姿をなるべく変えないよう補修されている)

 

 (会津兵士たちの墓)

 (「戦死墓」のみの碑銘)