会津

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「会津武家屋敷」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

家老・西郷頼母邸を復元した武家屋敷を中心に、移築された会津藩陣屋や養蚕農家の建物、また歴史資料館や民芸品の製作体験コーナーがある。

西軍が総攻撃をかけたことで、足手まといになることを怖れた西郷家の子女たちが自ら命を絶った「自刃の間」は、復元された建屋とは別に当時の雰囲気をリアルなジオラマで再現した部屋があり、訪れた人々の涙をさそう。

当武家屋敷内に墓地のある会津藩士・佐々木只三郎は、幕府講武所で剣術師範を勤めたほどの使い手で、文久2年(1862年)に清河八郎とともに浪士組として上京。その後、過激な尊皇攘夷派に寝返った清河を江戸・一之橋で暗殺した。佐々木はその後、坂本龍馬の暗殺にも関わったといわれている。鳥羽伏見の戦いに参戦するも 樟葉(くずは)(現・大阪府枚方市)で負傷し、和歌山・紀三井寺で息絶えた。

PHOTO

(写真クリックで拡大します)

 (会津藩家老・西郷頼母邸(復元)の玄関。当時の西郷邸は敷地面積2400坪というからサッカーグランドよりもやや広い。部屋数は38あったという)

 (「書院壱の間」。藩主や限られた重役のみを接待するための部屋。人形は「松平容保」を模している。NHK大河ドラマ『新選組!』ではここでロケが行われたという)

 (上の場所を横から見る)

 (渡り廊下から「使者の間」へ)

 (西郷家の家族がおもに使用していた「次の間」。西軍の会津城下総攻撃が始まると、捕虜となって敵の辱めを受けまいと、家族と使用人合わせて21人がここで自害した(この建物は復元なので、文字どおりこの場所ではありません。なお自害の場面をリアルな人形を使ったジオラマで再現した部屋が別にあります))

 (主人・西郷頼母の寝室だった「奥一の間」)

 (武家屋敷外観)