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■オリンピックは平和の祭典?

日本が過去最多のメダルを獲得したロンドンオリンピックも無事終わりました。

オリンピックといえば、「平和の祭典」という代名詞で表されることがよくあり、その言われをたどると、「古代ギリシア時代、オリンピックが開催されているときは、ポリス間で戦争をしていてもそれを中止してスポーツの祭典に興じた」とされていることが多いようです。

ちなみにポリスというのは、「都市国家」と訳されていて、文字どおりひとつの都市がひとつの国家を為している状態です。古代ギリシアには統一政権というものが存在せず、多くのポリスが互いに覇を競いあっており、ポリス間には戦争が絶えることがありませんでした。しかしギリシアの神々を祀る神殿で大きな祭典が行われるときは、ギリシア内の各ポリスから使節が派遣され、祭典が行われる神殿に集まりました。その祭典の場でスポーツ競技も開かれるようになったんですね。

その最大のものが「オリンピア祭」でした。エリスという有力ポリスがオリンピア地域で主催していた祭典なんですね。オリンピア祭の開催が近づくと、エリスからギリシア中のポリスに参加を要請する使者が派遣され、同時に祭典期間中の停戦協定(エケケイリア)が結ばれました。

しかし、間違われやすいのは、オリンピア祭の期間中停戦したのは、主催するエリスと各ポリス間のみであって、エリス以外の各ポリス間同士にはこの停戦協定は無効だったということです。つまり停戦協定を結んだ理由は、オリンピア祭が「平和の祭典」だからではなく、エリスが滞りなくオリンピア祭を開催するための手段だったんですね。

こないだ初めて知った意外な事実でした(^^;

[2012.8.17]
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