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■三菱と三菱鉛筆の不思議

岩崎弥太郎といえば、三菱グループの祖。地下浪人という貧しい家に生まれた弥太郎は、土佐藩の参政・吉田東洋の塾に入り、その才覚を認められたことから、出世の道が開けます。

開明的な吉田東洋は、尊皇攘夷をかかげる土佐勤王党(主宰・武市瑞山)の手によって暗殺されましたが、その遺志をついだ甥の後藤象二郎は、土佐藩の商社とも言うべき「開成館」を設立しました。藩をあげて商いを盛んにし、富国(藩)強兵に努めようというのがその目的です。

そして開成館の出先機関として、大阪と長崎に「土佐商会」をつくり、後藤象二郎は長崎の土佐商会の主任に岩崎弥太郎を任命しました。こうして長崎での土佐藩の貿易を一手に任せられたことが、その後の「三菱」創設の礎となったといえます。

大河ドラマの『龍馬伝』では、弥太郎と龍馬は少年時代から知己であったように描かれていますが、これは創作で、おそらくは弥太郎が土佐商会の主任になったとき、龍馬の海援隊(亀山社中)の会計をも任されるようになって、互いを知るようになったといわれています。といってもこのときはすでに大政奉還の半年ほど前で、大政奉還の翌月に龍馬は暗殺されていますから、実際に付き合いがあったのはごくわずかということになるでしょうか。

話は変わりますが、あの三菱のロゴマークがついた「三菱鉛筆」。小学生のころからお世話になってきた鉛筆ですが、この三菱鉛筆は、現在の「三菱」グループとは関係のない会社ということをご存じでしたか? 私はつい最近知ってびっくりしました。マークの形もそっくり同じで社名が同じ。当然、電気製品などを製造している「三菱」が鉛筆も作っているんだと、子供のころから信じて疑いませんでした。

三菱グループウェブページでは、このように誤って思いこんでいる人のために、わざわざ「三菱鉛筆は三菱グループ企業ですか?」というQ&Aが載っていて、三菱鉛筆のサイトも紹介されています。そこで三菱鉛筆のページを見ると、そこには三菱グループのことには触れられておらず、商標の起源として、三菱鉛筆創業者の家の家紋からあの三菱マークの図案がつくられたという記述がありました。(岩崎弥太郎が設立した三菱のマークは、土佐藩・山内家の家紋が元になっていますね)

弥太郎・三菱の正式な出発点は、明治6年(1873年)の「三菱商会」ですが、三菱鉛筆のほうも、創業は明治20年(1887年)と歴史があり、例の三菱マークは三菱鉛筆の方が先に使い始め、さらに過去、財閥時代の三菱からグループ入りのオファーを受けるもこれを拒否したという歴史を持っているようです。「芯の強い(^^;」会社を目指してきたということでしょうか?

[2011.5.19]
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