山口・湯田温泉

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「山口御茶屋跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

文久3年(1863年)4月16日、藩主・毛利敬親(たかちか)は湯田温泉に湯治に行くという名目で萩を出立して山口の御茶屋に到着、そのまま当地に居住することになった。御茶屋とは藩主の参勤や視察のときに宿泊したり他藩の来賓を迎えたりするときに使用される藩の公館のこと。

実際には、長州藩の藩府を日本海側の萩から交通の要地である山口に移す「山口移鎮」は、山口城の建設とともに前々から周到に準備されており、藩主の山口到着後翌5月には萩の行政・軍務を司る役所も山口に移動し、御茶屋は山口政事堂と呼ばれるようになった。

山口御屋形(山口城)が完成するまでのあいだ、ここが藩政の中心となり、下関の攘夷戦争(長州藩が外国船を砲撃)のときもこの地から戦闘指令が出された。

PHOTO

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(一の坂川にかかる西京橋。川の左側に山口御茶屋があった)

(上の写真の地点から橋をわたったところ。向こうに見える橋が御茶屋橋)

(御茶屋橋の近くまで来ると向かい側に公園が見える。このあたり一帯が山口御茶屋だった)

(公園の端にある山口御茶屋の説明板)

(山口御茶屋の説明板)