山口・湯田温泉

Google Map

「錦小路頼徳墓」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

錦小路頼徳は天保6年(1835年)生まれ。廷臣八十八卿列参事件にも加わった尊王攘夷派の公家で、文久3年(1863年)の八月十八日の政変によって失脚し長州に下ったいわゆる「七卿落ち」の一人。

長州に来てからも攘夷運動鼓舞のため、藩内を視察して回った。元治元年(1864年)3月、下関の砲台を視察のため三条実美と共に湯田を出発したが途中で発病し、下関の白石正一郎宅で静養したが翌4月に死去した。享年30。

PHOTO

(写真クリックで拡大します)

(錦小路頼徳が葬られた赤妻山に建立された赤妻神社。葬儀は長州藩主・毛利敬親によってとり行われた。維新後に暗殺された広沢真臣の墓も同じ境内にある)

(上の写真で正面に見える慰霊碑。辞世の和歌「君がためすてむ命のいたづらに露と消へゆくことをしぞ思ふ」)

(手前の墓石が錦小路頼徳墓。背後の大きな石碑は明治3年(1870年)に建立された「贈正四位錦小路君碑銘」。碑文は加藤有隣、篆額は三条実美)

(錦小路頼徳墓の説明板)