山口・湯田温泉

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「山口明倫館兵学寮跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

もともとこの地には、文化年間に藩士であり儒学者でもあった上田鳳陽(うえだほうよう)によって設けられた私塾「山口講堂」があった。上田はもともと山口の出身であり、萩の藩校・明倫館で学んだが、故郷の山口にも学問所がほしいとの思いを抱いていたのである。山口講堂は文化12年(1815年)に一の坂川をはさんで山口御茶屋の対面に設立された。

山口講堂はのちに山口講習堂と改称された。攘夷戦争にそなえて文久3年に藩府が萩から山口に移されると、山口講習堂は藩校となり「山口明倫館」と命名された。山口明倫館には兵学寮と文学寮とが設けられ、兵学寮では大村益次郎が教授として西洋兵学を講義した。また文学寮では楫取素彦 (かとりもとひこ)(吉田松陰の義弟)が教授をつとめている。

山口明倫館はのちの国立・山口大学の母体となった。山口大学では山口講堂を創設した上田鳳陽を建学の祖としている。

PHOTO

(写真クリックで拡大します)

(長州藩の政事堂があった山口御茶屋跡から、川沿いに少し上流側に行ったところに山口明倫館兵学寮跡がある(こちら向きに止まっている車のあたり))

(山口明倫館兵学寮跡の碑と地図・説明板など)

(石碑は「周防明倫館」となっているが、一般には「山口明倫館」と呼び慣わされている)

(山口明倫館兵学寮の説明板。文学寮のほうは現在の山口県立美術館のあたりにあった)

(山口大学創基の地の碑。山口大学は長州藩士・上田鳳陽が設立した山口講堂をその源流としている。この記念碑は山口明倫館兵学寮跡の碑から少し離れた旧国道9号線沿い(県道204号線)西京橋付近にある)