多摩(新選組のふるさと)

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「石田寺」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

土方歳三は、下総流山で近藤勇と惜別したあとも、宇都宮、会津と転戦し、旧幕軍の榎本武揚らと箱館に渡って「蝦夷共和国」設立に参加、陸軍奉行並の職についた。しかしその後新政府軍の箱館攻略が本格的に開始され、宮古湾海戦、二股口の戦いなどの激戦を経て旧幕軍は消耗を続け、土方らは一旦五稜郭まで撤退した。明治2年(1869年)5月11日、新政府軍は総攻撃を敢行、旧幕軍も一時は新政府の軍艦朝陽を撃沈するなど戦果をあげたが、新政府側は大兵力で攻勢をかけ、箱館市街と箱館山を占領、土方は孤立した弁天台場の救出に向かったが、一本木関門付近で馬上で敵銃弾を受けて戦死した。土方の遺骸は五稜郭に埋葬されたと伝わるが詳細は不明である。

土方家の菩提寺は高幡不動(金剛寺)であり、ここ石田寺は金剛寺の末寺で、土方家の墓所となっている。

PHOTO

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 (多摩八十八ヶ所霊場・第八十六番札所石田寺。樹齢400年といわれるカヤの木は日野市の天然記念物となっている)

 (石田寺三門)

 (石田寺本堂)

 (土方歳三の碑。明治百年祭の記念で子孫の土方康氏によって建立された)

 (右が土方歳三の墓石。土方は箱館で埋葬されたため、ここは墓参のための詣り墓である)

 (墓前に建てられた説明板)