多摩(新選組のふるさと)

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「土方歳三資料館」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

土方歳三の生家は、この資料館から300メートルほど東にあり、家は「お大尽」と呼ばれる豪農だったという。ところが歳三12歳のときに多摩川に大洪水が発生し家屋が流失したため、村人が協力し現資料館のある場所に移転した。現在は歳三の兄・喜六の子孫の方が自宅の一部を資料館として開放し、見学が可能となっている。

土方歳三は、天保6年(1835年)5月5日に武蔵国多摩郡石田村に誕生した。四男だった歳三は11歳のとき上野の呉服店松阪屋に奉公に出されたが、番頭に叱責されて反抗し、そのまま夜道を9里も歩き通し日野まで戻ってしまった。さらに17歳のときに江戸・大伝馬町の呉服屋に二度目の奉公に出たが、店の女中と関係を持ったことが原因でまたもや奉公を辞めてしまった。

このころ(嘉永4年(1851年))、歳三は日野宿名主の佐藤彦五郎宅に頻繁に出入りするようになっていた。歳三の姉・ノブは彦五郎に嫁入りしており、歳三にとって彦五郎は義兄にあたる。奉公先で恋愛事件を起こしたときも彦五郎は親代わりとなって歳三の相談に乗った。 (ちなみにこのときも歳三は日野に帰って彦五郎に会うと踵を返すように江戸に戻り、女と話をつけて店を辞め、また夜道を歩き通して彦五郎に報告している。とにかく健脚で行動力の男といえるだろう。歳三は新選組の幹部となった後も必要とあれば長距離の移動を苦もなくこなしている)

その佐藤彦五郎が自宅に天然理心流の剣術道場をつくったのもちょうどこのころである。歳三が剣術を始めたのも自然な成り行きであったろう。歳三はたちまちのうちに腕をあげたという。彦五郎の道場には天然理心流三代目近藤周助やその養子となっていた近藤勇が江戸試衛館から出稽古に来訪し、近藤勇・土方歳三というのちの新撰組のトップとなる2人は日野の地で出会うことになる。

その後、歳三は、打ち身の治療薬である家伝の「石田散薬」の行商に出た。行商の仕事が忙しかったのか、歳三が天然理心流に正式入門するのは、安政6年(1859年)3月のことである。だが歳三は行商のかたわら、行く先々の道場で他流試合を申込み、技量を磨いていた。そして文久3年(1863年)に浪士組に参加して京都に発つころには、試衛館で師範代をつとめるほどの腕前となっていたのだった。

PHOTO

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 (八王子の東から府中方面(奥行き方向)へ向かう日野バイパス(国道20号線)。多摩モノレールと交差する直前に「土方歳三資料館」の看板が立っている)

 (バイパスの南側の道は一転して静かなたたずまい。左側の庭が土方家。前方は多摩モノレール)

 (土方歳三の兄・喜六の子孫の方が資料館を運営している)

 (生家跡と銘刀の説明)

 (月2回の開館なので通常は門は閉められている)