駿府(静岡)

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「宝台院」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

慶応4年(明治元年)(1868年)2月、新政府の東征軍が江戸に向けて進発するころ、徳川慶喜は江戸城を出て上野寛永寺で謹慎生活にはいり恭順の姿勢を見せた。さらに4月江戸城が官軍に明け渡されると、寛永寺を出て水戸に移り、7月19日、水戸を出て銚子から幕府軍艦・蟠竜丸で清水港に向かった。

慶喜が宝台院に到着したのは7月23日夕刻であった。この地を慶喜の謹慎の地として選んだのは、かつて駿府に住み町奉行もつとめた大久保一翁だった。

翌年(明治2年)の9月をもって謹慎は解け、慶喜はここから少し離れた紺屋町の元代官屋敷に移り住んだ。

宝台院は、徳川家康の側室であった西郷の局(お愛の方)の菩提寺である。西郷の局は27歳のとき浜松城主だった家康に仕え、翌天正7年(1579年)4月、家康の第三子・秀忠を生んだ。7年後の天正14年(1586年)には浜松城から駿府城に移った。西郷の局はそれからまもなく天正17年に亡くなったという。(現地説明板等より)

PHOTO

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 (宝台院の建物の向こう側に国道1号線(東海道)が走っている。門を入って左側に由緒書きがある)

 (宝台院の由緒)

 (徳川二代将軍秀忠の生母・西郷の局の墓塔)

 (徳川慶喜の謹慎地としての説明)